灯りと懐古思想

今日はとても天気がいい!。天気がいいけど出かける気がしない。。。。。そう、それは春のアレ。。花粉がひどくてくたびれるから。。

そんなこともあって家にこもり気味。。。。で、最近、妙なものを購入してしまった。

これです。。

↓ガラスの断面部や、厚さムラなどこのような”粗”な部位がチャームポイントなのだろう。

そう、ランプ。。ランプといっても電気が普及する前に庶民のあかりとして活躍していたという吊ランプです。なんでこんなものが欲しくなったのか?島崎藤村、志賀直哉、田山花袋、堀辰雄、徳富蘆花、、、今でもそれらの人たちが書いた本を寝る前に読んでいる。。。(読むというよりも実は眠くなるようにするための睡眠薬みたいな使い方だけどね。。。)まだほんの30冊程度にしかみたないが、それらに登場する灯り、、洋燈がこれだと思う。。。また、詩人 立原道造がこの吊ランプをこよなく愛したなどど写真入りでどこかのサイトでみたこともある。。。なんだろう?灯りってなにか人を魅了するものがあるのだと思う。。。人にもよるかもしれないけど、小さい頃からマメ電球、麦電球、ペンライト。。。何か光るおもちゃに目がいった。プラモデルのライトを光るようにしてみたりね。。。幼稚園の頃か?親せきの家の電気スタンドを意味もなく点けたり、消したりしたのをぼんやりと覚えている。。。あーそういえば昔は家の台所なんかにも裸電球がぶら下げてあったな~、いつの間にか蛍光灯に変わったけど。。。(実は、そんなこともあって、写真にはないが昭和初期頃と思われる電気傘とソケットも買ってしまったのだ。。骨董市で)

で、この吊ランプ。。。なにがいいってわからないけどなんか可愛いのよ。初めての感覚です。このランプが手元に届いてからこれを眺めているだけですごく落ち着く、というか癒される。。。だってみてこれ、このフォルム、、なんかクラゲみたいでかわいいじゃないか。。無機物なのになにか有機的なものを感じるのです。。中でも上の乳白色のガラスがいいな。もちろん気泡が沢山入った油壷なんかもいいし、妙につくりのヘタクソがいい。。。   と、まあ今のところこの吊ランプにベタ惚れのようですが。。。。

これが発端で骨董の世界に入り込むようなことがなければいいけど。。。。怖いな~、実はこの吊ランプを買ったら長火鉢が欲しくなってしまって、つい探している自分がいる。。。恐ろしいわ~。掛け軸や壺なんてものにまで入り込んでしまったら大変なことになる。。。                 

物も100年経つと魂が宿ると聞いたことがある。。骨董に魅了された人は、自分が好きでそれを入手したと思っているが実はそうではなくてその物に出会う運命として操られているのだ。。。などど思ってみたりする。。。5、10年、、その時間はただ単にぼろくなっていく時間、しかも人が散々使ってしまったものはただの不潔ななにかすぎない。。。ところが50年、100年、さらにそこに携わった人達がとてつもなく沢山いてもその時間が自分の人生の時間軸より長くなってしまうととたんにカタチを変えてロマンへと変貌してしまう。そうか浪漫。。。そんな言葉が適当かな。小生のカルマンも今年で50歳!どこでだれが乗っていたのだろう?どんなドラマがあったのだろう?そんな気持ちはこれらを所有するだれもが抱く浪漫そのもの。。

あともう50年経てばカルマンにも魂が宿る。。。もし、仮にそこまで存在していたならいったいどんなだろう??ガソリンではないにかで動いていたりするのかな~。その時、カルマンの魂はなんて思うだろう?  なんて。。

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