緑茶ってスゴイ

昨日、図書館に行って藤田嗣治の画集を見てきた。

今更だが氏の随筆 腕(ブラ)一本 を読んでいるからだ。

なんだかフランスかぶれしていきそうな気がする。。

ま、それはそれとて。。。。

今朝になって咽喉が痛い。。。

明らかに図書館に行ったせいだ。。マスクはしていたけどそれに及ばず。。

今朝、朝食を済ましてからその本を読んでいると、急に緑茶が飲みたくなった。

体が欲しているのだと感じた。

実は、ちょっと前から緑茶にハマっている。

それは、ある店で本物?の玉露を飲んでからだ。

1杯目はあきらかに今まで飲んだ緑茶とは違う、うまみが凝縮した何か別の

飲み物のように思えた。

2、3杯目は自分で湯さましにお湯をいれてから自分でお湯を注ぐ、

至らない自分のためか2杯目以降はいつもの緑茶だったがこの後がスゴイ。

最後は酢味噌にあえて葉まで食べてしまう。

なんて素晴らしいのだ! 紅茶にしろコーヒーにしろ最後は食べて綺麗さっぱり

ゴミが出ないなんてこんな素晴らしいお茶はないのではなかろうか。。。。

で、今朝は普通の煎茶。。。

午前中の柔らかな日差しを斜めから浴びて茶器から注がれる緑とほのかに

あがる湯気をまるでなにか絵画のように見つめていた。

至福のひと時であった。

ふと、思った。。。。何が素適だったのか。

この季節周りは立ち枯れた葉や木々で茶色ないしは灰色につつまれている。

なのに、緑茶は、緑色! 葉っぱは皆、役目を果たして親元を離れれば

茶色く枯れてしまうのに緑茶はお茶筒の中でしっかり緑を保っている。

なんと不思議なことなのだろう。改めて考えたらもスゴイことだと感心してしまった。

なんでもクロロフィルとかいう成分がその緑の元のようだけど、そんな理屈よりも

なによりも葉が摘まれて、きざまれて、尚も緑色とはなんとスゴイことだ。

こんな不思議な現象になんで今まで気が付かなかったのだろう。もったいない。

当たり前のことなのに何かスゴイ発見を人知れず見つけたようで。。。。

あ~冬だからこそこの素晴らしさが余計に身に染みたのかな。

あれ? そういえば気持ち、喉の痛みも和らいだような。。。。。。

気のせいでもうれしい。

 

 

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袖ふり合わない縁

田舎は狭い道が多い。多くは農免道路だったり、市街では今でも昔ながらの道がある。

電柱なども道路の脇にニョキッと生えていることもある。

そんな道は交互通行ができないので譲り合う。。。

止まってくれた対向車の人の顔が見える程度だと片手をあげてみたりするが、

夜や先方がこちらを見ていない場合は、ププっと軽くクラクションを鳴らす。

相手も同じことをする。。。

と、これがオジサンの今までの常識だったのだけれども最近は、そのようなことを

する人が少なくなった。。。

そうゆうのって危ないとかあって、やめましょうってなったのかな??

と、愚痴をこぼしていたら、ふと思い出した。

30年前くらい前? バイクを乗っていると道行く先々でバイカー同士で

ピースサイン(正確にはピースではなく、2本指をくっつけてだけど。。)

るという行事??が頻繁に行われていたな。

そう、できる限り全部の車両にだ!

中には峠のカーブで結構なスピードを出しているのに曲がりながら片手をあげて

ピースしている。

う、ちょっとカッコイイ!、その時はそう思った。そのしぐさもそうだし見知らぬ

人間同士がそんな挨拶をするのがバイク乗り同士の結束みたいなものに思え素適

だったのだ。 でも、そのブームはいつの間にか消滅した。

自分自身でも何度も何度も同じことをしているとできないときもあるし、

それ以上に面倒が先にくることが多くなった。

ブームとは不思議なものだ、自分もそう思ったくらいだから他の人もそう思った

のだろう。。

今は、私の知る限りの近辺ではそのようなことをする人を見たことがない。

第一、アブナイ! というのがまずあるのだろう。

そんなことから昨今の車事情でもアブナイが先にきていてもしかして教習所

などでもそのようなことはやめましょう!なんて教育されているのかも?

ありがとう!の気持ちでこちらはププっとしたりしていても、もしかしたら相手は

なんだうるさい奴とか、アブナイ人だな!なんて批難されているのかも知れない。

あ~、もし、そうならいやな世の中だと感じてしまう私はもやは時代に乗り遅れた

過去の人か。。。

どうなのでしょう。

最近の世間の事情だとそんなつまらないことも考えざるを得ない。。。。

 

 

中には峠のカーブを結構なスピードで

 

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あのとき買っておけば

10年くらい前だろうか?いや、もっと前かな、

某車買い取り専門店に黒のロータスヨーロッパが置いてあった。

ちょっと気になって近くにいたお兄さんに聞いたら150万円です。

といっていた。多分S2だった思うけど真っ黒塗装の車体だったけど綺麗だったな。

時は、リーマンショックの頃だったのかな? そういう背景があったと思う。

それだけでなく、いいな~と思うことはあっても購入するに至らずにいることが多い、

そう、優柔不断なのだ。なのでいいな~とは思いながら購入するには至らず

思いだけが先行しているだけ、、、もちろんお金の問題もあっただろう。

そうやってグズグズしているといつの間にか値段が上がってもう、そんな

金額ではとても購入することができない情勢になってきている。

あれも、これも、なんか騒がしい感じだ。 明るいような気もするし、なんだか

心臓がドキドキするようであまり健康的でない気持ちにかられる。。。

そんな小さなことを吹き飛ばすことができるような情熱にときうごかされる

自分を今は待っているのだ。

 

 

 

 

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ウナギは鰻屋で食べよう。

これ、以前も書いたな。

でも、ホントに思う。うなぎは鰻屋さんで食べよう!

というのも今日、帰宅途中、車のラジオでウナギが相変わらず絶滅の危機状態であると。いや、もっと深刻なのでは。。。なんやらかんやら言ってました。日本の文化をこれからも守るべきだと。。

そう、良く聞いてなかったらわからないけど、思うのだ。絶滅の危機であるとなっても相変わらずスーパーなど売っている。某牛丼屋でセット販売したり。。。。これが人間の実態なのだ(自分も含みです)。知っていても目先の利益のためにそれが尽きるまで行進する。 毎年、毎年多くの種類の生物が実際に絶滅しているのも知りながら。。。

私、思うのです。全世界、いや宇宙で??生命体の数は決まっているのではないかと? 何かが絶滅している分、人間の数は増えている。。私が中学時代勉強した教科書には世界の人口40億人だったと記憶しているが、今は73億人(2015年で)らしい。つまり40年間で33億の何かがどこかで絶滅しているのではないかと?いや、細胞の数ですれば他の生物換算ならもっとかも知れないな。そして人間が多くなりなりすぎれば当然、人間が食べる食べ物はいずれなくなる。。

なんて。。。話が大きすぎたか。。。

ともかく、ウナギは鰻屋で! うなぎもフグみたいに専門の免許がなければさばけないようにしたらいいのとさえ思う。(もちろん鰻屋さんだけ!) 日本という国でそれを作り、そういう資格をもった人が作ったものでなければ世界中で鰻と称してはいけないと。 どこのだれが焼いたかさばいたかわからない外国産のウナギがスーパーで並んで、こっちの方が国産より安いからと買うのもおかしい。 うなぎにしてみれば外国産でも国産でも同じ命に等しいのに。

ウナギを食べるなら、お高くても、ちゃんと鰻屋で食べるようにしたい。 1年に一回、それを楽しみにしてみたい。そのために貯金してがんばろうくらいでもいい。

私は うなぎのかば焼きが大好きだから。

これからも、後世にも、そして外国人にも日本の鰻屋さんのかば焼きを

これからもずっと、食べたいし、食べて欲しい。

 

じゃん~ 車と全然関係なくてすみません~

 

 

 

 

 

 

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旧車にはロマンがある。

ビールをのみ、信州で買ってきた日本酒をたしなみながら至福の時間を過ごしていると、ふと、思い出した。。。

カルマンにスピーカーをつけようとラジオを外してたら琥珀に焼けた数センチ大の紙切れがひらりと落ちた。英語で書かれていたと思う。。。

何が書いてるのか覚えていないし、不覚にもその紙切れはどこかに行ってしまった。            ドイツ語ではなかったと思う。 私が乗っていたカルマンはアメリカから持ち込まれたものだと購入前のショップが言っていたと購入先の主人が言っていた。        (私はカルマン探しに友人まで巻き込み、東京、神奈川まで探しにいっても気に入ったカルマンが見つからず、あるとき、私が栃木まで見に行ってみたカルマンが気に入ったのでその店のことを地元のショップの主人に話をしたらお店同士友達だったらしく、栃木の主人が群馬まで陸送してきてくれたものだ―栃木の有名な空冷VWお店ね。)        英語で書かれていたということは、アメリカのオーナー、もしくはショップの人がなんらかの理由でそこに挟み込んだものか?あるいはラジオに貼ってあったものか?       まるで硫酸におかされたみたいな色の紙切れにひどくロマンを感じて、しばらくカルマンのプラモの下において置いておいたらいつの間にか紛失。。おそらく掃除機で吸い込んでしまったのだろう。。。幾人かのオーナーを経て私のところへきたカルマン、そしてまたどこかへ旅立っていったカルマン。いまはどうしているのだろうか? 別れた(自分から捨てた?)彼女の行く末が少し気になったりもする。。 大切にしてもらっているだろうか?事故にあっていないだろうか?ヘンテコな改造をされたりしていないだろうか?さんざんボロにしておいていい気なものだが、旧車、とくに外国で使われていたと思われるものは余計に灌漑深いものを感じている。。もしかしたらまたアメリカ、はたまた生まれ故郷ドイツに行くなんてことも?? 角テールとかじゃないからっていまさらテキトウに扱われたりはしないだろうと思いをはせている。。。。もし、これからのオーナーがこのブログを見て現在の状況を知らせてくれたりなんてこともなきにしも非ずと思ったりもする。。。少しお酒がまわったかな。。

 

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やられた。。。でも、実は助かったのかも?

昨年の春は、いつものこごみスポットが、鹿(たぶん)にやられ一本も採ることができなかった。今年、まだ春は来てないけど、セリはイケるハズといつもの場所にいったら、なんと全部なくなっていた。人ではない何者かに食べられてしまったのであった!ガーン。

鹿?猪?。。なんかほじくった感じがあるので猪かと思ったけど猪は、セリなんて食べないだろう?? 冬眠から覚めた熊が真っ先に山菜を食べるそうですがもう冬眠から覚めちゃったのかな? あたりはまだ雪があって冬~って感じなのに。。。        でも、この時期にこのスポットに来たことはなかったから春になったらまた頑張って生えてきてくれるのかな? もし、冬眠開けの熊の仕業だったらいいけど、他の動物だとなんか許せない気持ちになるのはなぜだろう?  で、もし熊が食べたのだとしたら。。。。。

食べられてしまったセリスポットをみて愕然としてなんて日だ!最悪だ!と思ったけど、もしかしたらこうやってなんともなくいることは、実はとてもラッキーだったのかも?   状況によってどう思うか感じるか、こんなにも違うとはなんとも勝手な生きものだな。   と、いうことで勝手に熊が食べたと決定!その方が幸せになれるので。

 

 

 

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あけましておめでとうございます。

今日は1月29日です。まだ1月です。ものすごく、おおざっぱにはお正月じゃないか。と、いうことでご挨拶。。。って。

先ほど日々さに自分のこのブログを読み返してみたらなんとま~カルマン1台のみで通勤に使い、明日の故障を未然に防ごうとウイークデイであろうとも雪であろうとも雨であろうとも色んなことに頑張っていたなと感心した。うん、頑張ったな。          最近は、めっきりだ。。。うん、これは出会いがないに他ならない。なんども同じことを書いているような気はがするが、お店とのお付き合い、そういったものが自分を掻き立てていたのかも知れないと思う。 何かあって、そのことをこのブログに書く、後日お店に行くと観たよ~、なんかやってるね~とかぽつぽつ話にあがることあった、そんな小さないことだったけどなにかしら励みになっていたのかも知れない。マニアックな会話、日常の中で交わせられる単語ではない言葉がいくつか交わされ、それが楽しくまた気分転換になっていたのだろう。 旧車を所有すること。その醍醐味の一つにそういったお店での話とか大した話もしないけれど、常連さん達がいたりすると、なんか嬉しかったりする。自分自身は、あまり社交的な人間ではなく、決してとけこめていない、話の中には入れてない、でも、それでも、そういった雰囲気の中に自分がいる時間、そういったことが古い車を所有することの楽しさだったと今になるとそう思う。                そう、大切なのはお店。自分が欲しいと思った車の専門店、もしくはそれが得意な整備屋さんが家の近くにあったなら、それはなんて恵まれた環境だろうナ。

 

 

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旧いのと新しいのと

気が付けば7月から更新していませんでした。                               おおよそ月に1回は更新しているのですがご無沙汰状態であったのは昨今の忙しさを物がったっています。休日となれば会社へ行き、定期の年休もいまだひとつもとっていない。自分は忙しいとは思っていないが気持ちが常に張りつめている状態が続いている。いい加減休みをとらねば。。。でも、自分なんかよりもっともっと忙しい人たちがいる。。まったく恐ろしい。。。ありがたいことなのかも知れないがなんともせわしいご時世である。さきほどテレビで資本主義はもう限界を迎えているうんぬんとやっていたが、そんな気もする。。その昔、バイクや車がまだ未発達の頃、各メーカーが最高速度を競ってほどなく限界を迎えて、最高速度よりも乗り味や快適さを求めて行った過程になんとなく重なるな。。。。なんて。。。

で、今日は久々の天気なのでふと街中散歩をしてみたくなった。あえてノスタルジックな場所ばかり歩いてみたくなった。。今やここの街はまるでゴーストタウン化のように思える写真ばかりだが、実は現役だったりするので逆にほっとしたりするのはなぜだろうか?

ここは以前、自分の記憶では松竹映画を主に上映していた場所だ、今は経営自体は、本来の姿ではないがそれでも懐かしい映画を今も上映してなかなかのスポットだったりする。最近では映画Hi&LOWのロケ地になっている。その前は、橋本環奈主演のセーラー服と機関銃のロケ地にもなっていたりする。今は、市川崑映画祭をやっている。この映画館で、昔の映画を見るのはなんともオツである。どれだけの人が知っているかわからないが映画好きにはたまらないのではないだろうか。。。今日はその気がなかったので見なかったが谷崎潤一郎原作の『鍵』も上映しているらしいので来週あたり見に行ってみようかな。。(高崎電気館で検索してみてください)

この映画館の周辺は、昔から飲み屋がそこかしこにある、昭和レトロそのものがこの周辺にはあふれている。

私が子供の頃は、家に風呂がなかったので祖母の家までお風呂をもらいに夕ご飯を食べてから橋向こうからわざわざ歩いてこのあたりを通り過ぎ行ったものだ。あたりは、お酒の匂いと何かの食べ物の匂いと酔っ払いと呼び込みが右往左往しているその中を母親に手を引かれて歩いていく、当時でも綺麗ではないその風景は子供にはあまりよくない空気感だ。。。そのせいかしらないけど私は基本的には飲み屋がはびこる町の風景はあまり好きではない、いや、寧ろ嫌いかも知れない。お酒自体も実はそんなに好きではない。本当は違うのだ。。。。

この通りは、こんなでも夜になると今でもそこそこ人がいたりする。でも、子供の頃はそんなどころではなかった、自分が高校生くらいのときでもかなり賑やかだった。夜よりも昼の方が人が沢山いた。休日の昼間なぞは、この通りを人があふれかえって自転車では通れないくらいのときもあったが今はその影も感じられない。当時を知る人の記憶の中にあるだけだ。                                     ぶらぶら、ゆっくりゆっくり歩く、、、壁の剥がれ、トタンのめくれ、油がべっとりついた換気扇、もう営業していない食堂の看板、その狭間に新しく営業を始めた店がちらほら。。。そんな風景をまるで写真に撮るかのように記憶に収めようと試みてみる。。どうせ忘れてしまうことだけどね。。。40年も前の風景を思い出して今と重ねてみたりする。。。あれとこれは昔もあった、あれはここにはないなどと。。。故郷。。。と、いうにはあまりにも風情のない風景だが、カナシイかな昨今ではその廃れ具合が逆にいい感じだと映画のロケ地になっていたりする。。。。。

あ、昔からやっているたこ焼き屋の前に来た。今でも営業しているとは嬉しい限りだ。。。思わず買ってしまった・ 6ヶ入りで300円。。。安い。。。食べようと蓋をあけるとソースがこぼれ出た。昔ながらのソースたっぷりたこ焼きだ!なかなかボリュームがあってこれだけで”食事”になりそうだった。。。

ふと目をやると村上鬼城の俳句が片隅に掲示してあった。多分、ほとんどの人が気が付いていないだろう。そもそも村上鬼城のことを知らない人多いだろうな。。。。

新米を食うて養う和魂かな

cultivaiting mind, I have cups of boiled rice,the first crop of the year

念力のゆるめば死ねる大暑かな

were will power loose, I would die under the sorching summer heat

などと英語でも表記してある。うん、ボブディランに見せてあげたい

 

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運の使いどころ

危なかった、いや、あぶないそのもの。。。

一昨日は、元上司の送別会でした。ひとつの時代が終わりました。う~ん。。。そんな会のあと、代行代をケチって歩いて帰ろうと思った。最近、翌日が雨でない限りこのパターンが多い、なぜかというと翌日飲み屋においた車を自転車で行きとりにいくからだ。わざわざそんなことをして苦労をするのはそれがなんか楽しみのひとつになっているからだ。よほど飲んでいない限り、代行代の変わりに歩いて帰ればお金もウクし、健康?(飲んで歩くことが健康に良いとは思えないが。。。)にも良いし、こんな好都合はない。

でも、結構な距離があるので歩いて帰るのをみんなに知られると奇行なのでいちいち説明するは面倒だし、第一ちょっと恥ずかしい。。。そんなことで会が終わって逃げるように?その場を後にした。でも、それがいけなかった。上述のこともあり、飲み屋を出てすぐちょっと走ってしまったのだ。あたりは暗く前がはっきりしない、この周辺が田んぼあることを忘れていた。走ってまもなく右足が宙に浮いたような感覚がよぎり、まもなく私の脚はドブに浸かり、落ち、体はくずれ、膝をぶつけ両腕を強く打ちつけた。コンクリートの側溝だった。。。。ドブくさいにおいが体にまとわりつき、Yシャツは右半分が泥だらけ、右手は結構血が出ている。左手も擦り剥けている。。。。ズボンはびしょ濡れ。。。ヤバい、恥ずかしい!その場からすぐに立ち上がりさらに逃げるように去っていく。。。。。しばらくしてズキズキ痛みがする。。。。途中のコンビニのトイレで手を洗おう。。。鏡を見ると顔には鼻から首にかけて1本の長い傷がまるであちらの方のようについている。。それでも、幸い骨を折るとか、べろんちょ皮膚が避けるとかそういった大けがはなさそうだ。これならこのまま歩いて帰れる。。。そう、帰った。。。帰ってから自分の姿をみるともっともショックだったのが買ったばかりのスラックスに大きな穴がおいている。お~No~、お気に入りだったのに、まだ2週間程度しかたってないよ~。。。涙、、、、。。。。。しかし、。。。あの瞬間がしばらく頭をよぎり、よくよく考えると末恐ろしくなる。もし、あのドブがもっと深かったら、いや逆に水がなかったら、はたまた何か鋭利なものがあったらどうなったか?運よくすっぽり落ちたからいいけど側溝に顔や頭をぶつけてしまったら。。。。。恐ろしい。。。。。

痛い思いもした、8000円のスラックスも台無しになって代行代の方が安く済んだ、結果として大損だ。。。。でも。。。。。運がいいとも思う。。。この程度で済んでいるのだから。。。もしかして、こうやって生涯使える運を使っているのかも知れない。。。それとも何かお告げだろうか?気をつけなさいと。。。

もう10年にもなろうとしているが毎週ほぼ欠かさず1000円程度の宝くじを買っている。最高で1万円程度で計算すればもう何十万円の赤字だけど、いつか一発あたったらそんなのなんでもないと自分にいい理屈をつけて今も購入している。。。当たらないかな~と思いつつ、どこかであたらないでね~とも思うこともある、まったく変てこな話だが、ホントにそう思う。もし、高額な金額が宝くじであたったらすべての運を使い、いや、使うどころか運を借金してしまい、その後大変なことがおこりそうだから。。。。

どこで運を使うか?それはいまだにわからないけど、普段はこういう無駄な運を使うことなく穏便に過ごしたいものだ。

 

 

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足尾紀行

夏目漱石の小説”坑夫”の舞台がこの足尾だ。舞台というより当時の書生が実際に体験した内容を明治時代、新聞小説として夏目漱石が書いたものらしい。当時の生生しい状況がとって見れ、なぜ当時の日本があのような道へ歩んでしまったのかちょいっとわかるような気がするものだった。親もいない、今日、明日の食さえままならない、まして安住できる家などない、そんな人が子供も含め日本中にあふれかえっている、そのよりどころ、生きていくために仕方なく選択するもしくは、知らず知らずのうちにここに放り込まれた人達。。。。毎日、毎日、労働に労働の連続、死に絶えていく仲間もいる。そんなだったら戦争をしていた方がまだマシだとも思うくらいだったのかも知れない。。。。また足尾といえば銅山、銅山と言えば鉱毒事件がどうしても切り離せない。富国強兵、財閥の富と繁栄の陰に翻弄された人間と環境。。。。。そんな足尾銅山だけど、今は銅山自体はとっくにやめて観光の街としてひっそり佇んでいる。。。しかし、今でもそこかしこに当時の生生しい状況が垣間見れる。(と、いっても地元の方々の賢明な植林活動などの努力により私が知るここ30年の間にだいぶ緑が復活してきている)                  足尾は群馬から行くと日光の途中にあるなんだか寂しい街というイメージしかなく何度も何度もその前を通るくせに一度も寄ったことがなかったので、坑夫を読んだ後に無性に訪れたくなったので行ってみた。例によって自転車を連れて。。。

自転車を連れていうように足尾までは登りなのでそれを苦労してわざわざ自転車で行くなどという素晴らしいことは私はしない(というかできない)ので、これも初体験となる わたらせ渓谷鉄道を利用することにした。桐生まではJRを利用、そこからこれに乗り換える、始発電車に乗る。電車は1両だった。しかも最初私だけだった。

途中の駅も無人駅が多いようでなかなかのノスタルジックな雰囲気が満載だ。

渓谷鉄道というようにところどころ崖を走るが、それほどでもない。けど、驚いたのは当時(明治?)作られた煉瓦のトンネルがを何度か通過したことだ。碓氷峠の鉄道跡が今では観光名所になっているがここでは現役だった。すごい、すごいぞわたらせ渓谷鉄道。

あ、ちなみに折り畳んでカバーをしてもそれが自転車とわかれば追加料金を取られます。400円だったかな?結構とられ、最初はちょい不愉快におもった。(だって、もっと大きい荷物でも自転車じゃなければ追加料金とらないでこんな小さく畳んで、誰にも迷惑かけていないじゃないか、まして誰もいないし~)けど、人がいないからいいじゃないかじゃなく、人がいないからそのくらいお金もらわないとこの鉄道の経営もままならんだろうと思うと、なんだか申しわけなく、車掌兼、切符係券、運転手の方にあやうく事前確認をしない自分が悪いクセにクレーマーに成り下がるところだった。(て、言わないけど。。)

足尾駅をひとつ過ぎ、終点藤間駅に到着。ここは終点なのに無人駅だ。                    線路はこの通りここで終わり。(昔はもっと奥まであったらしいが。。)

さて、どうしたものか?駅前には売店もなんもない。ま、そういったところがこの足尾の魅力だけどね。前方の岩にニホン鹿の小さな群れを見たあと、ここからは自転車で行く。

今は廃線となっている鉄橋と、そのすぐ下にある橋。おそらく橋が最初にできてそれから鉄道がひかれたのかな?橋を渡るには鉄橋をくぐらなければならないほど高さがないのは当時のむちゃくちゃな工事体制がうかがえる。。。村民が使う橋より鉄道様のが偉いのだといわんばかり。。。

当初、電力は水力発電だったようです。その水力発電に使われた大きな配管の一部が今も岩の近くに突き刺さったままだ。この下に発電所があったんだってさ。

その名も大正橋と銘打った橋があり、なかなか芸術的である。今は渡れなく大切に保存されている。

 

精錬所跡を過ぎて峠を登る。途中、汗をかきながらひっこら自転車をこいでいるとなにやら視線を感じた?ふとみると左の岩の上でカモシカ2匹がこちらをじっとみている。カモシカには何度か遭遇したことがあるが彼らは必ずこっちをじっとみるのだ。何か哀れな生き物をみるような目で。。。。その二匹に声をかけた! お~い、カモシカちゃん~。すると二匹は、アホくさっとつぶやいた(そうに思えた)あとにぷいっと尻を向けながら岩の向こうに行ってしまった。なんだか見捨てられた感じがした。。。カモシカにしてみれば生きるための必須行動でもないのにわざわざ汗をかいたりしている人間がなんともばからしく思えたのだろう。。。いや、自分もそう思うときがある。走ったり、なんだり、そのエネルギーの活用は営みのためになんとも贅沢な、無駄なことだと。。。

ま、そんなこんなでようやく峠のてっぺんに到着。ここから登山道があって山が好きなな方たちはここからまたさらに自分のためだけにエネルギーを消費しにいく。

とくに何があるわけでなく峠を一気くだる。するとキャンプ場があった。あまり自分のこのみではないがまあまあか。。。

さらにちょい、下ると近代遺産がちらほらある。この地域は小滝地区といって割と最初に使われていた坑道の近くで人の営みがあった場所らしい。

大正時代に作られた橋が朽ち果てている、また、その近くに当時の飯場跡があり、共同浴場跡もあった。楕円形の3メートル程度の浴場だけど、ここに坑道で働いて真っ黒になった人たちが汗を流したのだろう。(でも、きっと、この浴場を利用できた人は一部の人に違いないと想像する。無料ではなかったハズだからね、ほとんどの人は風呂など入ってなかったんじゃないだろうか?・)

小説 坑夫の主人公もきっとここにきたのだろうと勝手に推測する。となんとも言い難い気持ちになる。。。

途中、元小学校があったという場所にも寄ってみた。今は森の一部になろうとしていた。

さらに下ると立派な建て物がある。それは財閥らしい所有物で元迎賓館だった。この煉瓦の建物の裏にある。資料館で当時の写真をみると実に両極端。迎賓館の前には山高帽に髭を生やした人たちがあふれかえりそこには明治の栄華な部分がとって見れ、そこから少し離れた飯場、町にはまっくろな顔をして手ぬぐいをほっかぶりして地味な身なりの男たち集まっている”現場”がそこにある。貧富の差は今の比ではなかったろうとそれらの写真からも伺える。

そいうったところには大抵教会もあったりする。この建物も明治に作られたもので今でも教会として使われているらしい。当時の宣教師はここで何をみたのだろうか・・・

そんなこんなでぶらついているとお腹が減ってきた。足尾の駅前に行けばなにかあるだろうと行ってみたが、わお~、やっぱり何もない!町の主要な駅だけど、これまたそれが足尾ね・

駅をちょっと過ぎると古民家というにはちょっと新しい古民家と銘打ったさんしょう屋とい食堂があった。その名のとおり、さんしょうをたっぷり使った料理だ。よし、ここにしよう。11時ちょい前にいくと、おばちゃん一人が準備をしていたがまだ、開店前だと断られた。。。あと10分程度なのにいいじゃないのと思ったがそこはおばちゃんのテリトリー。従うしかない。他にないかと見て回ったがどうにもこうにも飯どころがみあたらず一回りしてまたここへ戻ってきた。するとおばちゃんが2人になっていて今度は快く迎えてくれた。

注文したのはさんしょうをたっぷりまぶした鳥丼だ。  これ、おしかった~、最初はさんしょうがうるさいと感じたけど食べているうちに病みつきになる。山椒にはなにか常用性があるのか?今でもこの味が忘れられない。

中庭もあったなかなか良い雰囲気のところだった。

さて、お腹を満たした後は、さきほど言っていた資料館でのんびりしたのだった。資料館は観光に力を入れているらしく、係員の人たちがしっかり説明をしてくれたりしてありがたい。足尾の歴史ばかりでなく、化学、民族、歴史の勉強にもなる。また資料館の外では全国のトロッコが集まろうとしていた。

全国のトロッコ好き集まれ!! ん?そんな人いるのか?

ま、いい、おじさんたちがボランティアで全国からかき集めた活躍したトロッコを復元させているのだ!!これ凄い! まだまだ仕事はんばな雰囲気ではあったが中にはレストアではなく当時の図面からおこしていちから造り上げたガソリン車なるものがあった、これは当時足尾の街の中を走っていたものを復元したらしい。車両の中にも入れるので中でう~んすばらしいと感心していたらそこに働くおじちゃんが色々説明してくれた。坑内で稼働させるトコッロは基本、電動、粉じん爆発の恐れがあるし、空気を汚す内燃機関は坑内では使えない。なるほどそうだ。バッテリーを積んで走るものが多く、これなんかもほれ、ここがバッテリー置き場。年代が新しくなるとバッテリー置き場の大きさが小さくなっている。。。流石これが古河バッテリーの威力か!いや、おじちゃん、ありがとうござました。

流線型のトロッコもあり、なかなかカッコいい。

これは内燃機関だから坑内用ではないね。

機関車みたいな恰好をしてこれが、いちからおこしたガソリン車で綺麗だった。ここにあるトロッコ達はほとんど今でも動くらしい。う~ん働く乗り物、さすがタフだわ。

町を少し下ると廃墟かと思われる変電所がある、でもこれ現役だって!すごいね。    足尾。。

さ、帰ろう、帰りは下りだ、一気に自転車で下ろう!! と、そう予想していた。。。。でも現実は違ったのだ。。。車で何度も通ったときは下りにしか感じられなかった道だがいざ自転車で通ってみると意外や意外、アップダウンの連続で予想以上にくびれてしまった。なんだかんだで80km近くも自転車に乗ってさすがにくたびれじーさんになった日だった。。。

通るだけで知らなかった足尾の歴史、少しだけ、ほんの少しだけ、教養が増した気がした。。。。。

 

 

 

 

 

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